輝く未来(バラード・バージョン)

•3月 11, 2008 • コメントする

華やかな祭り

•3月 11, 2008 • コメントする

輝く未来

•2月 16, 2008 • コメントする

輝く未来 (作曲:レザ・竹、作詞:レザ・竹)

一歩ずつ歩んでゆく曲がりくねた道

今はまだわからないけれど、ただそのぼんやりの光を信じている

小さな光が僕の中にとも灯っている

でもいつかその光がこの心に輝いている

何度も転んだけれど何度も立ち上がった

失敗と成功繰り返しながら僕は今ここにいる

光り輝く明日の大空に

羽ばたく姿思い描きながら

まだはるか遠くにあるけれど

いつかきっとたどり着ける

どんなに苦くてもどんなに苦しくても

明日の笑顔がきっと見せるから

きっと輝く明日の光が

それだけを信じている

日本語能力試験の不合格から学んだこと

•2月 9, 2008 • 1件のコメント

 今日は日本語能力試験の結果を見た。不合格。これは、いうまでもなく、受験者の誰にも避けられる言葉だ。今回の試験のために、本当にたくさんの勉強の時間をちゃんと計画した。しかし、これが意外な結果でもない。試験が終わったとたん、涙がでた。なぜかわからなかった。確かに、よくわからない問題がでてきたし、問題集とか受験対策の本でもみたことなかった問題も一つか二つ以上でてきたし。

 落胆。落ち込んだ。がっかり。いろんな気持ちがったんだけど、今のところはもうもどれない。大事なのは、どのようにして、こういう失敗が繰り返さないようなことだ。じっくり考えてはしてないけど、確かに、いくつかの過ちをした気がした。

 まず、これがもっとも大間違いと思った。いろんな理由でいかりに燃え、前の彼女との大きなケンカをした。あなたが帰るまでやりとりをやめようっていわれた。これが僕の付き合いの終わりだと思って、毎日そればっかり考えたり、泣いたり、結局、勉強できなくなった。発散するためにも、友達とチャットして、勉強の時間も減ってきたんだ。しかも、そのときは彼女の誕生日だった。ネックレスもプレゼントとして送ったけど。まぁ、それが問題じゃないけど。しかし、そのときケンカしなくても、僕らは別れるんだけど、試験が終わるまで、我慢すればよかったのに。だから、できれば、試験の前にこういうことが起こらないように、すこしでも我慢したほうがよい。

  次はバイトの選択のミスだ。ここに来る前にたくさんアルバイトして、帰ったらたくさんたまったお金を持ってかえるつもりだったけど、時間がたつにつれて、そういう考え方がが少しずつ変わってきた。やはり、せっかく日本に来たので、たくさん勉強したほうがよいといつの間にかそう思うようになってしまった。しかし、それに気づいたのはおそかったのだ。11月ごろ、がんばってあっちこっち応募してみたり、面接にいったりして、どこのバイトでもよいと思った。試験の1ヶ月前にバイトを探すのは大ミスだった。こうなると、後悔したけど。また、今よく考えてみれば、今のバイト先で働いてよかったとはそんなに思わない。さらに、11月に、週2回ぐらいバイトに行って、11時ぐらい帰って、また家出勉強した。これは、あまり効率のよい習慣じゃないと思った。勉強の時間も減った。

 また、量より質のほうがよいという考え方だ。前はできればたくさん時間を作って、たくさん勉強したほうがいいと思った。これは、悪いことというわけでもない。しかし、たくさん時間作っても、そんなに質のない勉強ばっかりしていて、頭も疲れてしまって、逆の結果となる可能性もある。確かに、11時にバイトから帰って、夜3時まで勉強することは効率のよい勉強方法ではないよ思うようになった。適した時間で勉強したり休んだりすることが大事だ。

 僕の試験はもう終わり。試験の結果はもう出た。不合格した。目標は達成できなかったけど、結構努力したから、後悔することはない。「失敗は成功の始まり」ということも信じているからだ。また、「失敗したことのない成功者は世の中にはいない」からだ。大事なのは、失敗するときに、逆にそこから何か得ることを探して、二度と繰り返さないようにするべきことを考えることだ。

日本企業の資金調達

•1月 24, 2008 • コメントする

        今日は日本企業の資金調達について話したい。

        先ず、高度成長期(19561975年)に振り替えよう。戦後の日本経済を復興に資金を集中し、銀行に資金が集中するような政策がおこなわれた。そのため、証券市場が発達させられず、企業の資金源泉として、銀行借入による外部資金調達に依存した。従って、企業の内部資金が低く、自己資本比率がたかかった。また、この時期の内部金融率(内部資金/総投資)が5060%であった。因みに、アメリカの同期の内部金融率が80140%であった。しかし、借入の中で、長期借入が1972年を境に、増減を繰り返し、1978年にゼロとなった。一方、短期借入が比較的安定し、86年まで2030%の増減を繰り返していた。

高度成長期後、以前優位であった外部調達が徐々に低迷し、内部調達優位に推移した。第1時石油危機は、設備投資収益率が低下する一方、総需要のための金融引きにより金利が上昇し、借入利子率が利子支払前総資本利益率を上回るようになった。そのため、企業は設備投資を抑制するとともに、多額の銀行借入の返済による財務体質の改善をはかるようになり、設備投資に対する自己資本比率が上昇した。

80年代にはいると、円高により、金利が低下た。そのため、銀行借入による資金調達が上昇た。また、有価証券と借入金などの外部借入金の合計比率は90%を超えた数値となっていた。そして、バブル期において、株式資本市場が好調になるのに従い、大企業は多くの株式や社債を発行し、86年度から増資と社債による外部資金調達が急上昇し、80年代は増資と社債の盛り上がった時期となっていた。さらに、頂点として、89年の企業のエクイティ・ファイナンスが30%に達した。データにより、大企業製造業も大企業非製造業も資金調達の比率の中で増資と社債の比率はいつも銀行借入を上回っていた。このような状況で、80年代の日本企業の外部資金調達の依存度が非常に高かったといえる。しかし、資本市場の盛り上がりが大企業に限られた傾向あった。中小規模の企業にとって、銀行がいまだに主な資金源泉となっていたと思われる。一方、同期の内部資金調達には、減価償却による資金調達がいつも利益留保を上回わっていた。

90年に入ると、特にバブル崩壊の影響で、企業の資金調達の比率が変化た。頂点として1989年に30%に達したエクイティ・ファイナンスが1992年に5%まで減少した。また、銀行は80年代の多額の貸出による不良債権問題、さらに、発生した銀行の資本比率の低下で、深刻な財務危機に直面した。従って、企業に資金を貸出すのに大きな影響を及ぼし、銀行は厳格なモニターリングを行うようになった。その結果、銀行借入の比率が徐々に低下した。従って、借入側の企業も銀行への返済の比率が銀行借入を上回っている。一方、企業の資金調達は増資による資金調達が比較的に安定しており、このような資金調達が増加した。しかし、増資や社債などは大企業へしか道が開かれていないので、これを利用したのは大企業に限られている。「企業財務データ」という日本政策投資銀行により作成されたデータによると、社債のなかでは、普通社債の集中度が低下傾向にあるが、92年以降債権が増加してきている。しかし、債権を選択するのは、上位格付けの企業に偏っている。また、90年以降、上場者数は増加傾向にあるものの、株式による資金調達額は低迷している。この要因として、企業の資金需要の低迷と考えられている。

外部資金の割合が低下した一方、内部資金の依存度がたかまり、90年代後半以降、90%の数値に推移した。また、99年から、調査によると、外部資金がマイナスであるため、内部資金が100%を超えた数値という。これをみると、銀行借入の依存度が極めて低くなったといわれている。また、90年代後半以降、規制緩和による自由化と国際化も進化した。その結果、銀行と企業の株式持合いが低下した。これはよく「銀行離れ」といわれる。しかし、実際企業は本当に銀行借入にあまり依存しなくなるのであろうか。

2003年に日本銀行により実行された調査、「資金循環統計」により、企業の外部資金調達の最も構成比の高いのが銀行借入(30.4%)である。次いで、株式・出資(27.9%)、企業間信用(17.1%)の順である。また、銀行借入の異存度を示したFLOANを利用した早稲田大学の調査により、銀行借入に依存度が低いといえない。FLOANは企業の負債額の中から、銀行からの借入がどの程度の割合を含めるのかを示すものである。また、高い収入の大企業の依存度は社債にシフトし、銀行借入の依存度が低下した。しかし、低い収入企業は銀行借入の依存度がまだ高いといわれる。これは、ほとんど中小企業にとって、株式や社債による資金調達が比較的に困難のためなのであろう。

以上では、日本企業の資金調達についての説明である。90年代降、企業の資本金達には変化があるということは確かである。しかし、以前とくらべれば、平均的に借入による資金調達か増資や社債による資金調達かどちらのほうが依存度が高いのかといえば、大きく変化してきたと言い難い。確かに、バブル崩壊後、銀行の借入が低下し、増資や内部資金による資金調達が増加した。しかし、増資による資金調達を利用しているのは上場企業、あるいは大企業にしか限られていない。大企業の資金調達といえば、80年代から債権や普通債権の割合が銀行からの借入より上回っている。ということは、以前から大企業の資金調達は直接金融の割合が比較的に高いといえる。

中小企業の場合は、資本市場にて資金を調達するのが困難であるため、銀行借入に依存するといわれる。確かに、銀行借入の依存度が低くなるという「銀行離れ」はそうであるが、中小企業にとって、銀行借入はまだ主な資金源泉となっていると考えられる。

以上のことから、現在の日本企業には資金調達の比率からみれば変化したが、資金調達の割合をみると、現在において主な資金調達の源泉となっているのは以前とは変わりがあまりない。

我々の夢

•1月 24, 2008 • コメントする

 夢ってなんだろう。子供の頃、我々はよく「ね、00ちゃんの夢は何」や「何になりたいの」等と、大人達に投げかけられたのだろう。それで、我々は「パイロットになりたい」や「お金持ちなりたい」等と答えだした。しかし、大人になったら、子供のころか学生時代に創造してた夢とは違うことをやっていることに気づいている人がいる。それで、「あれ?何でオレはこれやってんだ。医者になりたかったんじゃないの」のようにおもってしまうのであろう。「夢をあきらめないで!あなたの夢をかなえるように」というようなことから考えれば、それでよいのだろうか。

 広辞苑によると、夢とは「将来実現したい願い」や「心の迷い」等という定義が書かれている。その2つの定義からみれば、最も実現したいことという夢を決めるときに、自分が迷っているのは当然だ。ほとんどの人は子供や大学生の頃に夢を決めるからである。その頃は本当のやりたいことや実現したいこと、あるいは本当の夢ということをまだ気づいていないのである。私も、高校生の頃まで建築家になりたかったのに、日本で留学し、経営学を学び、また将来に社長になりたいという昔と全く違う夢を持っている。しかし、これは悪くはないと思う。なぜならば、夢について、私には次の考え方があるからである。

 先ず、夢は自ら認識することが大事である。本当に実現したいことを気づいてから、実際に達成できるかどうか、あるいは自分の能力や才能をはかることである。高望みはいいが、現実に考えることも無視できないからである。次の段階は、自分の夢までの「架け橋」、あるいはこれからやるべきことの計画をたてることだ。これがわからないと、医者になりたい人は経済学部に入ってしまうかもしれない。最後に、自分の夢をでかくきれいで見やすいところに貼ることだ。これにより、自分は生産的な行動と夢へ導かれるといわれているからである。

 以上は私の夢に対する考え方である。自分の夢がかなうまで、我々はいろんな人々と出会ったり、いろんな事ができたりすることにより、本当の自分に向き合うことに気づき、そのとき夢を変えてもよいのではないのだろう。あきらめるわけではない。今のところは、自分の決めた夢を目標にし、ただ自分のたてた計画を一歩ずつ歩いているだけである。途中で何かがあるか今のところは誰でも知らないからである。それだけ信じている。             

初ポスト

•1月 14, 2008 • コメントする

はじめまして。
レザです。インドネシア人、男性、22歳です。インドネシア大学で日本学科を勉強してます。今九州国際大学で一年間留学してます。日本語が間違いだらけだと思ってるのに、できるだけ日本語を使うようにします。 よろしくお願いします。m(_ _)m

Hello world!

•1月 14, 2008 • 1件のコメント

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